反響から呼び戻す過去

自分の人生を振り返る。V6岡田准一の作品たちと共に。22年前から今日まで雑多に。

犍陀多の気持ち。

嵐は普段は天上界にいて、

コンサートに行くとほんの少し下界に降りてきてくれる気持ちがする。気のせいかもしれないが。

良い意味でキメすぎてなくて、同じ人間なんで。みたいな事を挨拶でも言ってくれる。

大野は「みんなが働いてる時、僕らも働いてますから。がんばりましょう」と言った。泣いた。

嵐も普通の人間。一緒にがんばろう。

という気持ちになる。

 

V6は普段は下界に居てくれてそうなおじさんたちなのに、

コンサートに行くと、天上界の人になる。

今や挨拶もなく、ひたすらかっこいいまま去っていく。

かしこまった挨拶は見ているこっちがくすぐったかった。 

踊って歌ってる姿から

「言わなくてもわかるだろ?」

 

なにをしても彼らには敵わない。無力だ。

という、気持ちになる。

 

 

V6はステージ構成上、アリトロ最前に柵がない場合が多い。

かつて(スタンド花道だったと記憶している)V6に乱暴に手を伸ばしたファンが居てすごく問題になった回があった。ご存知の方も多かろう。ファンもV6も若い時だ、そんなこともある。

信頼関係だけで片付けられるものではない。構造や演出、さらに演者にも問題があったからこそとも思う。

 

今やアリトロに手をだす人は居ないのではないかと思ったりする。

マナーが良いからだけじゃない、

ファンも演者も年を取ったからじゃない。

 

V6が天上人すぎるからだと思っている。

年を重ねる毎にアンタッチャブルな存在になってきている気がする。

あんなにふざけたMCなのに。。

歌って踊ると別人。もはや人でもない。

 

今回参加させてもらえた回でアリトロ最前だったのだが、

アリトロに手を出そうなんて。

今もって考えられない。

アリトロは完全に演者を見上げる。

蜘蛛の糸の犍陀多の気分だ。

やましい心で触れては、たちまちに切れて地獄に落ちる。

 

岡田がメンステからアリトロに乗りこっちに来る!とわかった瞬間から、岡田がそのブロックを離れるまでの間の情景が、見たことはないが走馬灯のように流れる。

 

アリトロの上から、娘のうちわに手を降ってくれた姿と、私のうちわに苦笑いしてくれた姿は、完全に無音の記憶として残っている。

周りの音もなにもかも聞こえない。

自分がどこにあるのかもわからない。

 

時が止まったような。

こんな瞬間がこの世にある。

 

尊い

お釈迦様がいつまでも、蜘蛛の糸を我々に垂らしてくれるように、やましい心で触れず清らかな心で尊びたい。